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制作について

 

インタリオ

私の作品は描いたを刺繍で線を拾い、その痕跡を粘土に刻むという行為を凹面彫を意味するインタリオと名付けている。

線とモチーフをつなぐ、形を追い、そのモチーフが成り立っていく過程を追体験している行動。

粘土に刻まれた線はそのモチーフの形が変わらない形であり続け、記憶(想起されるもの=イマージュ)として時間の経過・定点を表す。

古来よりある線描と並行した描画方法として位置付け、絵画空間にある図と地の関係にあいまの部分を明確にし、その間にある色彩や光の問題を課題に制作している。

沈む絵画

アクリル絵具を練り込んだ色粘土を支持体にしている。

粘土という支持体は私にとっては画面、枠(四辺形など矩形のもの)に対して骨とその間についた体を形づけるための構造として用いられる材料である。

時間を経てもその時の身体的な動きを記憶できる装置である粘土上で、ドローイングを押しあて、沈みこみ、刻みつけられた線が浮かび上がる。わずかながら下へ沈みこむイマージュ(図像)と鑑賞者・外界との間に隙間が発生する。ブラシと支持体とのレイヤーと同様に粘土を押し当てる身体的動きによる沈みと外界との隙間は作り出せないか、を沈む絵画として取り組んでいる。

モチーフについて (2025年のはなし)

きっかけになる存在。配置されることで空間の案内役になる。導き手。

モチーフの持つ意味、歴史を見つめるための作品であることは必然だが、

図と地で言う図になるはずのモチーフは私にとっては反転されるか、透明化される(透けてしまうことになる)。

それは絵画としてのモチーフではなく、モチーフとその形象の再現行為の形として残される。

なぜ縫うのか。

一本一本の線をたぐる。

描いたモチーフの線を糸のステッチで追うことで、一度線を解き直し再構成していく。

ステッチという行動は規則性と行動の制御(行動の拘束性)があり、描き手の手からモチーフのコントロールを離してしまう。

コントロールから外れ、一度中空状態にする、またはエラー(予期しない形)になること。

遠回りだがエラーを通して、本来の姿から少し離れながら映し出すというのは人の記憶や思い出される像と同じではないかと思っている。

追体験という言葉が頭をよぎる。描く行為は記憶からの追体験という感覚とみなし、

モチーフが取り込まれ、その中で映し出されるとすれば、

手の離れたモチーフは描き手の意図から離れたステッチの線は人の手を介した鏡に写された図になる。

 

鏡はエラーを逃さず映し出す。

エラーを繰り返し映し、レイヤーとなって図像を作る。

その図を見つめることで、そのモチーフについて考えていきたい。

​                       ©︎ERIKO MURATA2016〜2025

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